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中国の古典文学

1.漢詩:
    
漢詩には、多くの種類があります。形式の上では、唐詩、宋詞などと謂われるものになります。中国では「漢詩」とはいわないで「古詩」「詩詞」「古代詩」などといっています。中国の漢詩は種類が極めて多く、特に宋代で発達した宋詞は、極めて多く(八百二十五調、千百八十余体)の形式(詞調)があります。 世に漢史,唐詩,宋文,元曲と称せられるように,唐代文学を代表するのが詩であり,また中国の詩の最も秀逸なのが唐詩である。詩人の数,作品の数においても歴代で群を抜き,宋の計有功撰『唐詩紀事』にあげる詩人は1,150人,清の康煕帝勅撰『全唐詩』に至っては2,800余人,4万9,000余首をおさめている。また,詩型も唐詩においてあらゆる形体が出そろい,かつ完成された。形体は古詩と近体詩に大別される。近体詩は平仄(ひょうそく)や韻律などの規則のある定型詩で,律詩・絶句がこれである。律詩の詩型は初唐期のチンセンキ※注1※・宋之問らにより完成され,絶句の詩型の完成も唐代になってからで,盛唐期の王昌齢・李白は絶句の最高峰である。唐代に近体詩が完成された背景として,科挙(貢挙)で作詩が重視され,厳密な押韻が求められたことがあげられ,これがまた唐詩の声調の優麗さの因ともなっている。古詩は近体詩のごとき厳格な規則を無視した比較的自由な型式で,それゆえに社会諷刺や批判精神が吐露されるのは古詩型式が多く,李白・杜甫に始まるものとされる。
    
     文学史の上からは,唐代約300年を4期に分ける。国初から睿宗期までの約100年を初唐といい,王勃・楊烱・盧照鄰・駱賓王を初唐の四傑と称す。この時期の詩は六朝以来の五言詩を中心とする型式美から完全には脱していないが,陳子昂は詩風を漢魏へかえすことで作詩に新しい生命力を吹き込み,沈?期・宋之問は律詩の形体を完成させ,その後の唐詩の新しい展開の基礎ができ上がった。初唐にはほかに杜審言・李?・張説・張九齢らがいる。玄宗・粛宗期の約50年を盛唐といい,唐の極盛期という時代性が作詩にも見事に反映している。初唐における六朝詩の型式美の超克を意図した復古の作詩の試みや近体詩の完成のあとを受け,最もみのり豊かな時期である。自由と情熱に満ちた詩的幻想の世界に生の喜びをうたいあげる浪漫的な李白,現実を直視して誠実・雄渾な気魄をこめて内面的苦悩をも律詩に凝結させた杜甫,この二人は唐代だけでなく,全時代の頂点として詩聖と称せられる。仏教にも造詣の深かった王維,そして孟浩然は伝統的な自然詩の分野に新境地を開いた。岑参・高適は辺境のエキゾチックな生活や風物をうたい,王昌齢は李白とともに絶句の型式・内容ともの完成者と目せられる。唐詩は盛唐期に事物の描写だけでなく,人間の内面的感情をも見事に表現する作風を生み,その韻律の美しさと相まって,最高の発展段階に達した。代宗から文宗期までの約70年を中唐という。安史の乱後の厳しい時代相を反映して,盛唐期に比べると詩人の数は多いものの,内容的にはかなり遜色がある。大暦の十才人と称せられる人たちも出ているが,やはり中唐を代表するのは白居易と元?である。宋の蘇軾は“元軽白俗”と低い評価を下すが,その平易な表現と身近な対象にもとづく作風により幅広く愛誦された。庶民層の台頭により詩歌の受容者層が著しく拡大したことが背景にある。この時期に属する詩人には他に蕭穎士・劉長卿・元結・韋応物・権徳輿・韓愈・王建・劉禹錫・柳宗元・寛島・李賀らをあげることができる。文宗以後唐末までの約80年を晩唐という。唐の衰退を微妙に感じとった耽美的・デカダンス的な作風に特徴がある。その代表は李商隠で,自然をかりて自己の心情を記した技巧的な抒情性がきわだっている。温庭?は愛情の微妙な心理の綾をうたう艶体の詩が多い。杜牧は前2者の技巧性と繊細華麗さとはやや異なり,情致豪遭と称せられる詩風を特徴とし,なお中唐の平易さの風を継ぐところがある。このほか,晩唐期に属する詩人には許渾・陸亀蒙・羅隠・皮日休・司空図らが有名である。またこの時期には独特の詩風を展開した禅僧が登場してくる。釈皎然・釈貫休らがその代表である。

    「詞」は、宋代に名人・名作が輩出したことに因んで、また、唐代に隆盛を極めた「唐詩」と対比させて「宋詞」と呼ばれています。形から謂えば、唐詩のように一句の文字数が五字や七字という風には決まっていない、長短句入り混じったもので、詩よりも複雑な規制があります。これは「歌詞」として発達したことからの制約なのでしょうか。詞は、詩を作る手すさびとして作ったためとも謂われて「詩餘」の名もあり、また、作り方に基づいて「填詞」とも呼ばれています。(たまに填詞のことを詞餘と書かれているのを見かけますが、詞餘は元曲のことになります。)詞は、内容からいっても、詩とは全然違った感情を詠みます。「詞」を「小唄」「端唄」等と訓んずることからも分かるように、嫋々としたもの、艶麗なもの、豪胆なもの等と、詩とは、趣を異にしたものをうたい込みます。とりわけ、女の心を詠ったものも多いようです。詞には、詩とはまた異なった別の天地があります。それは、喩えれば、女心の憂悶を詠ってみて、沸き上がる情熱を謳う世界なのでしょうか。そのため、この形式の韻文は、中国でも正式の韻文とは認めてもらえなく、正式の韻文の位置は詩(律詩、絶句)が占めていたようです。しかし、心のあらゆる襞まで詠むため、また、歌っていたため、また、そのために使う語彙も、詩とは全然違った俗な表現を用いたため、中国では人気を博したようです。それ故、有名詩人の中にも詩とは別の表現を求めて詞も作る人が出てきて、詩人であると同時に詞人である場合も見受けられます。詞は盛唐の李白で詩人も取り上げて大いに盛り上げ、白居易、温庭?と続き、五代の南唐後主李U、更に、宋代の晏殊、柳永、やがて蘇軾で文学として確立させ、周邦彦、李清照、辛棄疾等に到り、個性豊かな詞が花開きました。とりわけ、各時代の各階層の人物から、当時の社会情勢の影響を色濃く受けた、味わいのある作品が生み出されました。

2.古典小説:
中国の古典小説は近現代の小説のようにひとりの作者の手によるのではなく,長い時間の集積を経て小説として完成されてゆくのである。はじめは都会の盛り場で、口頭で話され,それが積み重ねられて長編小説となってゆくのである。いわば短編小説を積み重ねたものが長編小説であると言えよう。その背景には都市文化の発達があった。宋時代(10世紀から13世紀)は都市文化の発展がめざましかった時代である。都会にはかたりものを話して聞かせる演芸場がつくられ,多くの愛好家たちがそこに通いつめた。このかたりものの台本が小説の起源となったと考えられている。のち,これらは小説として意識され印刷出版されていった。「封神演義」「三国志演義」「水滸伝」「金瓶梅」「西遊記」「紅楼夢」「聊?」「儒林外史」は中国の古典小説の代表として八大古典小説と謂われます。

(1)封神演義: 封神演義は、明代末期の中国で作られた、全100回からなる古典長編小説です。内容は、古代中国における殷と周との戦いという、「史記」や「書経」にも名高い有名な歴史物語に、神仙や妖怪が活躍する、道教ファンタジーの要素を加えたもの。中国文学史上、「西遊記」に次ぐ神魔小説として知られています。道教・仏教説話でも有名な仙人たちや、神話上の神々、紂王など史書にみえる英雄と、400人を超える人物が登場し、激しい戦いを繰り広げる豪華絢爛な物語は、中国でも長く親しまれているものです。封神演義は、「武王伐紂平話」「春秋列国志伝」といった先行作品をもとに、道教や仏教にみられる物語や神々を取り込み、作者の書き換えを加えた上で物語として成立しました。仙人や妖怪が秘術を尽くして戦うその内容は、時代の雰囲気を色濃く残したものと言えるでしょう。封神演義の作者についてはいくつかの説がありますが、明刊本に記載のある許仲琳を作者とする説と、明代に道士として活躍した陸西星を作者とする説が有力になっています。また近年、許仲琳と李雲翔の合作という説も提起されています。

(2)三国志演義:三国志は、簡単に言えば中国の戦国時代の物語のことです。時代で言えば2世紀〜3世紀頃、日本では邪馬台国つまり卑弥呼がいた時代の頃です。三国志を見て行く上で鍵となる人物は、「劉備」と「曹操」、「孫権」の三人です。彼らがそれぞれに国を興したため、三国志と呼ばれています。彼らを取り巻くように、様々な人物が登場し、そして消えて行きます。忠義にあふれる名将、望むままに暴れまわる裏切り者、美貌をもって国を傾ける傾国の美女も登場します。宗教を唱えて勢力を築く者もいれば、逃亡生活の末に国を興す者もいます。そういった人々の生き様が描かれているのが三国志の魅力です。

      一般に「三国志」には二つの系統があります。一つは「正史」、もう一つが「演義」と呼ばれるものです。「正史」と呼ばれる系統は、そのものずばり「三国志」という名の歴史書が原典となっています(実際に起こった歴史的事実を簡潔に記している)。これに対し「演義」と呼ばれる系統は、「三国志演義」という名の小説が原典になっています(読んで面白い様に物語風に脚色している)。つまり正史系統の書物の方が歴史的事実に近いといえます。一方、演義系統には派手な演出や脚色が多く、事実よりも楽しむことを優先させているということができます。

      「正史」の原典にあたる歴史書「三国志」の著者は、「陳寿」と呼ばれる人物です。陳寿は「蜀」の国に生まれた人物でしたが、蜀が「魏」に滅ぼされると魏の国の役人となります。その魏が「晋」に代わった後に、その時代の歴史書を執筆するように命じられました。こうして陳寿は歴史書をまとめることになったのですが、当時の歴史書の書き方は「紀伝体」と呼ばれるものでした。紀伝体とは、皇帝を中心に出来事を書き記し、それを補足する形でそれ以外の人物を記すという手法です。さて陳寿は、大陸を統一した晋の国の元となった「魏の皇帝」を中心に歴史を記すこととなりました。そのため歴史書「三国志」には魏についての記述が多いのが特徴です。そして、その歴史書三国志を原典にもつ正史系統の書物は、やはり魏の「曹操」が主人公となる傾向にあります。

     「三国志演義」は、三国志の時代から千年以上経過した後に、「羅貫中」という小説家によって書かれました。その当時の中国では、三国志を元にした物語が主に口伝えで伝わっており、広く人々の間で親しまれていました。これらを元にして、彼は三国志の世界を描いた歴史小説を書き上げました。その特徴は、「劉備」を善玉で「曹操」を悪玉としていること、史実を大きく曲げない程度にフィクションを加えていることです。そのため、三国志演義を原典とした書物は劉備を主人公とすることが多いようです。

(3)水滸伝:かつて、中国山東の地、梁山という山の麓には、茫々たる湖沼が広がっていた。大小の水路が複雑に入り組み、高い葦が生い茂って、あたかも迷路のように他所者をよせつけない。梁山のふもとの水たまり―梁山泊。いつの頃からか、そこには世を逃れてきた男たちが雲集するようになる。北宋末には、宋江と三十六人の男たちが腐敗した政治に反旗を翻し、この梁山泊にたてこもった。その反乱はやがて鎮圧されてしまうが、彼らに反権力の夢を託した民衆は、長い時をかけて梁山泊の物語を語り継ぎ、育て、熟成させていく。梁山泊の物語は、街頭の講談として語られ始め、五百年の歳月をかけて一編の長編小説として整備された。筋立ては、百八人の英雄豪傑が、やむにやまれぬ事情から梁山泊に集結し、貪官汚吏を相手に縦横無尽に暴れまわるというものだ。登場するのは、義侠心から悪漢を殺し、お尋ね者となる豪傑、冤罪に陥れられ逃亡する武官、権力者の横暴に抗い罪人となった村人や、その他、書生、道士、猟師や船頭、盗賊から良家の令嬢まで、いずれも武勇、智略、一芸に秀でた好漢たち。悪漢を斬り、猛虎を殺し、命をかけて友を助ける。また一方では、酒を飲んでは失敗し、美女に騙され、しばしば命を危うくする。中国民衆は彼らの活躍に快哉を叫び、危機には憂い、百八人の好漢たちは身近な英雄として現在でも愛され続けている。

      作者は元代の施耐庵あるいは明代の羅貫中といわれるがはっきりしない。施耐庵の原作を羅貫中が改訂したという説,また施耐庵は架空の人物であるという説もある。主人公の宋江は正史である『宋史』にも記述がみえるが,物語の内容はそれを離れてかなり独自である。南宋時代すでに宋江ら36人の豪傑の物語が講談や戯曲にとりあげられているが,元代の講談台本である『宣和遺事』(作者不詳)にはそれらがまとめられている。水滸伝の骨子はこれとほぼ同じであるが,内容ははるかに豊富で,宋江ら36人の豪傑は108人にふくれあがっている。いくつかの物語が削られ加えられて今日の形にまとめられたのは明代初期と考えられる。水滸伝には版本が多い。最も原初的なものは100回本で,方臘平定までを描いたもの,120回本はこれに田虎と王慶の反乱の討伐を加えたもの,このほかに110回本・115回本などいろいろある。清代初期,金聖嘆は宋江らの帰順以下の部分を削って70回本をつくり,大いに流行した。水滸伝は108人の豪傑がいかにして梁山泊に集まったかの物語が集大成されたものである。それらの物語は長いあいだがかかって民衆によって育てられたもので,いわば民衆文学の傑作である。それだけに反体制的・反権力的な思想がこめられており,多くの人々に愛好されて今日にいたった。清代ではしばしば発売禁止の措置がとられたが効果はなかったという。

(4)金瓶梅:中国,明代の長編小説。100回。作者は蘭陵の笑々生となっているが,不明である。16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて成立し,はじめは鈔本(写本)で流布したが,1610年(万暦38)ごろ蘇州で初版が刊行された。テキストには,出版後まもなく別人が手を加えた改訂本と,原作に近いとされる『金瓶梅詞話』の2種がある。この小説は,『水滸伝』の武松の虎退治をプロローグとして,山東省清河県の旧家出身の西門慶が,金と権力をむさぼる生涯の物語である。彼は,正妻の呉月娘のほかに季嬌児・孟玉楼・孫雪娥・潘金蓮・李瓶児の妾をもち,放蕩な生活を送って,媚薬を限度以上飲んで急死する。西門慶を中心とする官能的な性の描写そのものが,意図するところではなく,明末の腐敗・堕落した社会の実態,人情をあますところなく描き出すことが目的であった。そのために,性生活を含めた人生と社会の赤裸々な描写が無情なまでに大胆であり委曲であったのである。中国では,この『金瓶梅』は,『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』とともに四大奇書と称され,明代の代表的な長編小説であり,文学史的にも,単なる好色小説にとどまらず,明末社会をリアルに描いたものとして高い評価を得ている。

(5)西遊記:中国,明代の口語長編小説。『水滸伝』『三国志演義』『金瓶梅』とともに四大奇書とされる。明の呉承恩撰。1570年(隆慶4)ごろ成立。民間に語り継がれて伝説となった,玄奘三蔵の西天取経の話にもとづき,呉承恩が100回の物語にまとめたもの。天地の精気を受けて花果山水簾洞(すいれんどう)に生まれ,72般の変幻の術を悟得した石猴(いしざる)孫悟空・豚の猪八戒・河童の沙悟浄が,唐の太宗の命を受けた三蔵法師を助けて天竺へ行き,経典を得てのちともに成仏するという筋。途中81の危難に会うが,なかでも金角大王・銀角大王や牛魔王との戦いは有名。全編ユーモアと人道主義にあふれ,とくに3従者の性格描写はみごとである。テキストには繁本・簡本ともに多数あるが,今日伝存する『西遊記』の9割近くまでが陳士斌の『西遊真詮』(清刊本)である。

(6)紅楼夢:中国,清の長編白話小説。原名は『石頭記』,別名は『金玉縁』という。全120回で,そのうち,前の80回は曹霑(号は雪芹)の原作,あとの40回は高蘭墅の続作である。清代小説中の第1に位置する名篇で,同じ人情小説の『金瓶梅』とは趣を異にし,『金瓶梅』が下層階級の恋愛関係を記しているのに対して,本書は“中国の『源氏物語』”ともいうべき,富貴紅楼の満人上流社会の恋愛物語である。大貴族賈家の貴公子賈宝玉と従姉薜宝釵・従妹林黛玉との愛情の起伏を軸にして綴られ,その間多くの男女が登場する。前80回は,栄華を誇る賈家に不幸な事件が相次ぎ,経済的破綻を生じたところで終わる。後40回は愛する林黛玉と結ばれないで,薜宝釵と結ばれた賈宝王が無常を感じて出家し,どこともなく姿を消してしまうところで終わっている。本書は一種の文学的自叙伝ともいえるもので,作者の曹雪芹は南京の名家に生まれ,一家没落後,北京に移って,貧窮生活のなかでこの小説を書いたが,1763年(乾隆27)2月12日急逝したため未完に終わり,1792年高蘭墅が原作者の残稿を整理したうえ,あとの40回を書きたして刊行した。広く読まれて一世を風靡し,紅学と称する一種の学問さえ生まれた。解放後,全国的に紅楼夢論争が展開され,各地で討論会が開かれたが,『紅楼夢』をもって,中国民族の生んだ文学遺産中,最も優れた一つとなし,中国の封建制度に対して激しい反抗の叫びをあげた“偉大なる憤怒の書”であるとみる点では一致している。

(7)聊齋:清の蒲松齢(1640-1715)作の文言短編小説集。「聊齋」は蒲松齢のペンネームで、「志」は「誌(しる)す」という意味なので、『聊齋志異』とは「蒲松齢が不思議な出来事をしるす」という意味である。当然収録されている物語は幽霊や狐、神仙等々の不思議な出来事でちりばめられている。しかしそのような神秘的な物事に仮託することで人間世界を見事に描いている面もあるのである。また、中国の小説は一般に事実性を重視する傾向があるが『聊齋志異』はフィクションとすることでより豊かな物語世界を構築していると言えよう。蒲松齢は早くから文名高かったが科挙の郷試には落第を続け一生を塾の教師など在野の一知識人として送った。

(8)儒林外史:清代の長編口語小説。呉敬梓作。全55回。作者の家産が没落しつつあった時期40歳以後,1745年(乾隆10)以降の作といわれる。八股文に巧みな者が多く官吏となり,科挙の試験に汲々として人間らしさを失った儒林(士大夫階級)の腐敗堕落ぶりを描き,虚偽と愚劣さに満ちた社会の頽廃ぶりを諷刺した小説。全体に中心となる主人公があるわけでなく,また一貫した筋もないが,それぞれの短篇をつなぎあわせた体裁をとっている。全篇にわたって見られる諷刺の力強さや批判精神は,今日も高く評価されている。後人が1回を加えて56回としたもの,4回を加えて60回としたものがある。

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